院長 医学博士 松本仁幸

- 京都大学卒業・大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部英語科)中退・京都府立医科大学卒業 -

漢方との出会い

アトピー性皮膚炎(アレルギ-性皮膚炎)の根本治療に深く関わり治療法を確立したと、確信が持てるまで十年近くの月日がかかりました。ステロイドは麻薬にすぎないと分かってから、ステロイドを用いずにアトピーの根本治療が可能になったのは、まず漢方との出会いがありました。

 小学校のころに右目に当たった硬球のために鞭打ち症状と右目だけの強度視力障害を併発し、中学の後半ころから偏頭痛で悩まされ未来を長く悲観して生きた時代がありました。その間、名医を訪ねて自分の病気の原因を探ったのですが誰も答えを用意してくれませんでした。更に、健康も自信も失っていきました。

 自分を自ら抹殺する前に自分自身で自分の病気の原因を知るために三つ目の大学である京都府立医科大学に入り直したのです。そこで初めて自分の病気の原因が小学校のころに右目に当たった硬球のためだと分かりました。15年後に分かったのです。第二頸椎が大きくずれて、長期間神経が刺激され炎症を起こし続けていたのでした。15年間放置したため徐々に頸椎が変形し固定してしまったため、もはや手が付けられないと言うわけです。何故もっと早く来なかったのか。もう根治治療はなく痛ければ神経ブロックをしてあげるからと言われるだけでした。元来、繊細な人間でしたのでこの言葉に更に苦しみました。

 その後、鬱々として時が経ちましたがこれは自分の運命だからと思い始め、とにかく医者になりました。

 それから縁あって結婚したのですが、これが人生の転機になりました。岳父が50年ものあいだ漢方薬局をやってきていまして、偏頭痛は必ず漢方で治るから漢方の煎じ薬を飲みなさいと言いました。西洋医学しか知らない人間にとっては、漢方薬は胡散臭いインチキ薬だという認識しかありませんでしたが、岳父のすすめる薬だからと渋々、大量の濃い漢方煎じ薬を飲みました。ところが数カ月もしないうちに起床時に必ず有った偏頭痛が消えているではありませんか。私にとっては晴天の霹靂でした。偏頭痛がなければ一日が始まらなかったのですから。ここで初めて漢方の凄さを身をもって体験したのであります。恐らくこの持病の強度の偏頭痛で苦しまなければ医者にもならなかったでしょうし、漢方の出会いもなかったでありましょう。今思えば幸運の偏頭痛であったわけです。

 さてそれからというもの歩きながら漢方を勉強しました。分からないところは岳父と漢方に通じている薬剤師である妻に尋ねて勉強を続け、さらにアレルギ-や膠原病の独自の治療法を確立することができたのです。さらに努力を続け、漢方の高貴薬である動物生薬である牛黄と熊胆が慢性肝炎に効くことを明らかにして医学博士の学位を取得できたのであります。

 今振り返ると、右目が徐々に視力を失っていった原因については、当時、いくつかの大学病院の眼科をはじめ、脳神経科などを巡ったのですが、誰もその答えを出してくれませんでした。その原因を発見できるまで、漢方医院を開業してから10年以上もかかりました。まさにヘルペス性網膜症であったのです。この診断を下したのは、他でもない私自身であったのです。さらに頭痛も、単に頚椎症だけが原因であったのではなく、本当はヘルペス性脳炎の一症状である慢性偏頭痛であったのです。この診断もできたのは、私がなりたくもなかった医者になったからです。しかもその治療のために、大量の抗ヘルペス剤であるアシクロビルをのみ、かつ大量の漢方煎剤を毎日飲むことによって、私の脳の働きは、74歳になった今現在でも、誰にも負けない脳に回復しつつあります。しかもアルツハイマーもヘルペス性脳炎の一つであることを発見したのも私自身であり、ヘルペスが大量に脳に入っている私自身だけが誰よりもアルツハイマーになりやすいことを知っているので、大量の漢方薬と抗ヘルペス剤のアシクロビルを併用することによって、アルツハイマーを予防できている実感を毎日感じているところです。

 残念なことに、右目が完全にヘルペス性網膜症によって盲目になってしまいましたが、残りの左目がコンタクトレンズにより視力1.2まで見え、自動車の運転もでき、かつ頭の働きが確実によくなっただけでも喜ぶべきでありますが、さらに74歳になって、全ての病気を必ず治せる自由診療医院である「松本漢方クリニック」を開業できたのも、自分が若かりし時に苦しんだ病気のためだと思うと、病気に感謝、感謝の毎日です。